2025年9月28日、東欧の小国モルドバで国会議員を選ぶ議会選挙が行われました。定数101の一院制議会を刷新するこの選挙は、単なる国内政治の節目ではありません。黒海とEU東端を結ぶ要衝に位置するモルドバが、今後どのような地政学的選択をするのか――欧州統合を進めるのか、それともロシアの勢力圏へ戻るのか――を決定づける重要な分岐点として、国際社会から注目されています。

前回から4年ぶりの国政選挙
今回の選挙は、2021年7月以来およそ4年2か月ぶりの実施となりました。モルドバの議会は定数101の一院制で、全国を一つの選挙区とする比例代表制を採用しています。前回の選挙では、親欧州派の「行動と連帯党(PAS)」が63議席を獲得し、単独で過半数を確保して政権を担ってきました。
PASはこの4年間、汚職撲滅や司法改革、エネルギー供給の多角化などに取り組み、一定の成果を上げてきました。しかし、物価上昇や社会格差、ロシアによるサイバー攻撃や偽情報の拡散など、国内外の課題は依然として山積しています。今回の選挙は、これらの課題への評価とともに、モルドバの将来の方向性を問うものとなりました。
親欧州か、親ロシアか――鮮明な対立軸
モルドバ政治を貫く最大の争点は、「欧州か、ロシアか」という地政学的選択です。与党PASはEU加盟交渉の加速や法の支配の確立、透明性の高い統治を公約に掲げています。一方、最大野党の「社会主義者・共産党連合(BECS)」や、親ロシア色の強い諸勢力は、ロシアとの経済・エネルギー関係の強化を訴えています。
選挙期間中は、ロシアからの影響工作や偽情報の流布、候補者登録をめぐる混乱が相次ぎました。選挙管理当局は一部の親ロシア系政党の立候補を禁止し、治安当局は「ロシア支援による不安定化工作」に関与した疑いで多数を拘束したと報じられています。これらの動きは、選挙の公正性と安全保障への懸念を強める要因となりました。
モルドバが抱える構造的課題
今回の選挙は、同国が直面する深刻な課題とも密接に結びついています。
- エネルギー安全保障:長年ロシア産ガスに依存してきましたが、ウクライナ戦争以降は供給が不安定化しています。代替調達や再生可能エネルギーへの投資が急務です。
- 汚職とガバナンス:司法の独立性や行政の透明性は依然として脆弱で、EU加盟には抜本的な改革が求められます。
- トランスニストリア問題:沿ドニエストル地域にはロシア軍と分離派政権が存在し、国家統合と欧州統合の双方に大きな障害となっています。
- 人口流出と経済停滞:若年層の国外移住が続き、国内市場の縮小と社会保障の不安定化が進んでいます。
これらの課題は、いずれの外交路線を選んでも避けて通れないものであり、政治の持続的な改革努力が不可欠です。
EUに近づく場合の未来
モルドバがEU加盟へ向けて歩みを進める場合、法制度や市場の統合が進み、投資環境が改善すると考えられます。エネルギーや輸送インフラが欧州ネットワークに接続され、黒海からバルカン、そして西欧へと広がる供給ルートの安全保障も強化されます。これによりウクライナやジョージアなど周辺国の欧州化を後押しする効果も期待されます。
その一方で、EU加盟には膨大な法改正や制度改革が必要であり、国内の政治的分断を乗り越えることが求められます。ロシアは影響圏を失うことで黒海沿岸での戦略的立場を弱め、欧州安全保障の構図は大きく変わるでしょう。
ロシアに近づく場合の未来
反対に、親ロシア派が議会で勢力を伸ばし、モルドバがロシアとの結びつきを強める場合、ロシアは旧ソ連圏での影響力を維持・回復する可能性があります。ロシア市場への輸出や低価格の天然ガス供給など短期的な経済的メリットは得られますが、EUからの投資や市場アクセスは縮小し、経済の多角化は難しくなります。ウクライナ西部やルーマニア国境を含む地域の緊張が高まるリスクも否定できません。
SNSリテラシーと誤情報――民主主義を揺るがす新たな課題
今回の選挙戦では、SNSを通じた誤情報の拡散と情報操作がこれまで以上に深刻な問題として浮かび上がりました。モルドバではスマートフォンとインターネットの普及率が高く、若年層を中心に情報収集の多くをSNSに依存しています。その結果、フェイクニュースや操作された動画・画像、AI生成による偽コンテンツが短時間で拡散しやすくなっています。
外部からの介入
選挙期間中には、ロシア発とされる偽情報キャンペーンや、AIを利用した音声・映像の合成による候補者への攻撃、投票所に対する脅迫メールなどが複数報告されました。これらは単なる噂ではなく、政治的選択や投票行動を直接左右しかねない深刻なリスクを孕んでいます。選挙管理当局も偽情報の追跡や通報窓口の設置、SNS企業との連携を強化しましたが、完全に防ぎきることは困難でした。
与党側プロパガンダの可能性
一方で、情報操作は必ずしも外部勢力だけの問題ではありません。与党側が自らの政策や実績を有利に見せるため、SNS広告や有料インフルエンサーを通じて過度にポジティブなメッセージを流したり、野党の弱点を強調したりするケースが指摘されています。これは政治広報と合法的な選挙活動の範囲を超えない場合もありますが、事実と意見の境界が曖昧な情報発信が増えると、有権者が正確な判断を下すことを難しくします。
実際、モルドバ国内の一部メディアや市民団体は、選挙期間中に与党寄りの報道が目立つことや、公式SNSが強い印象操作的表現を用いていたことを懸念する声を上げました。こうした「内側からの情報バイアス」は、外部からの偽情報と同様に民主主義の健全性を損なうリスクがあります。
市民リテラシーの重要性
このように、外部からの干渉と内側からのプロパガンダが同時に存在する環境では、市民一人ひとりのSNSリテラシー向上が極めて重要です。情報を鵜呑みにせず、複数の信頼できる情報源を照合する習慣や、出所不明な投稿を見抜くスキルが求められます。学校教育や公共キャンペーンを通じて、メディア教育を社会全体で底上げしていくことが急務となっています。
世界情勢への波及
モルドバの選択は、単なる一国の外交方針にとどまらず、欧州全体の安全保障と国際秩序の再編に直接影響します。
EU寄りの進路を取れば、NATOとEUの東方拡大が象徴的に進み、黒海からバルカンにかけての地政学的安定化に寄与します。逆にロシア寄りの進路を取れば、ロシアや中国が推進する多極的な国際秩序に力を与え、西側諸国の対ロ包囲網が揺らぐ可能性があります。
結び――選挙結果が左右するモルドバの運命
今回の議会選挙は、モルドバの今後4年間の政治を決めるだけでなく、東欧全体の力学を左右する重要な岐路です。EUへの接近か、ロシアとの再接近か――。どちらを選ぶかによって、国内改革のスピード、エネルギー安全保障、領土問題の処理、そして欧州とロシアの関係に至るまで、広範な影響が及びます。
東西の狭間で揺れ続けてきたモルドバ。今回の選挙は、同国がこれからどの大きな歴史の流れに身を置くのかを決定づける重要な一歩となるに違いありません。
✅ 参考にした主な情報源
記事内容の裏づけや最新情勢確認に利用した代表的な公開ソースです(2025年9月末時点)。
- AP News – Moldovans vote in a tense election plagued by Russian interference claims
- Reuters – Moldovans choose between pro-EU and pro-Russia camps in election
- France24 – Moldova votes amid claims of Russian interference
- Carnegie Endowment – Moldova’s Parliamentary Elections: What’s at Stake
- Wikipedia – 2025 Moldovan parliamentary election